「自由に生きたい」そんな思いを持ち、バンライファーを目指す人は多いのではないでしょうか。
好きな時間に起きて、好きな場所で、好きな人と過ごす生活は、誰しも憧れる生き方だと思います。
けれども、現実を思うと「お金はどうする?」「相当なスキルがないと難しいのでは」と不安がよぎります。
今回お話を伺った秋庭智也さんは、自由な生活へ憧れを抱き、その夢を実現をされました。
現実的な問題とどのように向き合い、自分の思いを貫けたのでしょうか。
そこには、「生きる」に向き合う、壮大で優しい物語が広がっていました。
東京で生まれ、幼少期は毎年母親の出身地である北海道・陸別町に遊びに来ていました。
大学生になると、海外への関心が高まり、世界を旅し、イギリスの大学院へ留学をしました。
就職の時期に入社を決めた会社は、インターネット広告を展開していたサイバーエージェントです。
留学先でインターネットが社会に必要不可欠なインフラになると感じ、ネット広告分野の将来性に魅力を感じたことが決め手でした。
数十万人のデータを扱う仕事にやりがいを感じていたものの、より実体を感じられる仕事に就きたいと思うようになり、3年ほど勤務をした後に退職をしました。
退職後、1年間の海外放浪を経て、「人とのつながりを感じたい」「バーチャルの世界からリアルを扱う仕事がしたい」という思いに気付きました。
また、学生時代から抱いていた、途上国の国際協力活動への想いも再認識しました。
そんな折に、シャプラニール=市民による海外協力の会の求人を見つけ、応募・入職しました。
「好きな南アジアエリア」「フェアトレード活動の支援」「ネット業界の知見が活かせること」から、まさに「自分の仕事だ!」とご縁を感じましたね。
そして、10年ほど働いた後に、北海道陸別町へ移住、地域おこし協力隊として地域資源を活かした商品開発に取り組み、2017年に独立をしました。
自分の海外協力の経験を、日本の地域おこしに活かせると思ったからです。
海外協力の仕事はやりがいがありましたが、生活を良くしていくのは結局その土地の人々なので、日本人は脇役になってしまいます。
海外から日本へ視点を移したときに、高齢化や過疎化の問題が見えてきましたんです。
自分が主体的に動くことで、地域おこしに関わり、今度は自分が主役となって、地域の人を巻き込みながらより少しでも地域のために貢献したいと思うようになりました。
地域おこし協力隊の仕事を知ったときは、海外で行っていた地域資源を活かした商品開発や販売の経験を活かせると感じました。
そして、グローバルな視点を持ちながら、ローカルな活動を行い、開発した商品の製造や販売に関わる地域の方々と、顔が見える関係性を築けることも魅力的でした。
せっかく活動するなら、ご縁がある場所で、そして昔から憧れていた田舎暮らしを実現したいと思い、移住を決めました。
実は、北海道移住については1ヶ月間迷い、最後はコイントスで決めました(笑)
前職もやりがいがあり、友人や海外協力に関心のある方々とのつながりもあったので、リセットすることに悩んでいました。
前職に残ることも移住も、どちらも正解なのであればコイントスで決めようと思い、3回投げてみた結果は全て「陸別町への移住」。
その結果を見て、自然豊かな地域で自給自足的な生活を送りながら、大好きな陸別町の地域おこしに関わることを決めました。
場所や仕事を変えることに怖さはなく、むしろ、新しく得られるつながりを想像して楽しさを見いだせましたね。
自分の人生を振り返ると、経験が活かせるイメージを持てるときが、道を変えられるチャンスだと思っています。
想像できることは大抵実現が可能なので、「できそう」と思えたときに、僕は生き方や働き方を変えていますね。
価値観を変えた出来事はいくつもあるのですが、山登りは僕の人生に大きな影響を与えてくれました。
登山ルートの決定、準備、全てのプロセスが好きですし、何より水と食糧、必要な装備があれば楽しめます。
山登りを通じて「生きていくために必要なこと」を理解できるようになったように思います。
実生活に置き換えると、シンプルに暮らすことの大切さに気がつきました。
お金や仕事についても、お金のためだけに働くのではなく、「やりたいことをやって生きたい」と思うようになりました。
サイバーエージェントではネットの知識を身につけ、次の職場では学生時代からやりたかった「国際協力の仕事」に就き、陸別町に移住することで憧れていた田舎暮らしを実現しました。
そうやって自分の心へ理想の生活を問いかけ、出てきた答えは、時間と場所に縛られない自由な生き方でした。
僕にとっての自由な生き方は、旅を日常にすることでした。
そして、「自分の生き様を仕事にすること」を目指しています。
この生活を実現するまでに、数年間の時間をかけて準備をしていきました。
地域の特産品開発や肌着メーカーとの商品開発やPRの仕事、地域おこし協力隊のサポート、ラジオ番組、YouTubeでの動画配信などいくつもの収入源を作れるように種まきをしていきました。
ハードルは高くせずに「まずは5万円の収入でいい。」と決めて取り組んでいました。
自由な生き方を実現するためには、キャンピングカーが絶対に必要だったんです。
四駆でマニュアル、そしてディーゼルのキャンピングカーを探しており、広島県で購入しました。
そこから「働きながら旅する」生活がスタートします。
広島から北海道へ帰ってくる3週間は、キャンピングカーで旅をしながら、各地へ営業活動をしたり、人に会いに行ったりしていました。
北海道の地域おこし協力隊のサポート業務は、移動でキャンピングカーを利用したり、鹿肉のステーキを千葉県の道の駅へ運び、移動販売したり。
東京でキャンピングカーに泊まりながらイベント出店をしたこともあります。
商談にも対応できるよう、フォーマルな服も車内に常備しているんですよ。
ラジオ収録もキャンピングカーで行うことが多いですね。
キャンピングカーは運ぶ・話す・働く・寝泊まりする、と姿形を容易に変えられるので、旅のついでに仕事ができます。
こんな生活を発信することで収入になり、誰かが共感をして何かにつながれば、生きることが仕事になるのかな、と思っています。
いろいろな場所で仕事をしていますが拠点を持つこと、帰れる場所を持つことは非常に大切だと感じています。
1年間キャンピングカーで「住所未定・夢職」な生活をしてみたのですが、荷物の置き場所やお風呂の問題、
精神的な安定感を考えると、僕には拠点が必要です。
それが現状は生活の基盤が集まっている陸別町にあります。
ダイヤモンドダストやフロストフラワーなどの美しい景色は、この地域ならではだと思います。
同時に、-30度の生活を経験できることも、この地域でしかできないことです。
生活するなら、自然の厳しさを肌でしっかりと体感したいと思い、6シーズン無暖房生活や、-20度の極寒車中泊を60回以上経験してきました。
そのおかげで、日本のどこでも無暖房で生きれる自信と、誰よりも深い寒さへの知識や知見を持つことができたと思います。
「こんな経験をしたことがある?」と聞かれたときに答えられる人になりたいですし、誰にも負けない何かがあると自信をつけたいんです。
人がやらないことを、想像で終わらせずにしてみたいんですよね。
妻と一緒に、アジアやオセアニア大陸などで長期間のキャンピングカー旅をしたいですね。
また、自給自足生活を極めたい気持ちもあります。
調味料を手作りしたり、山菜や野草、薬草などの知識、サバイバルスキルなどを身につけたりしたいです。
普遍的なものを追究して、生きることに必要な知恵をこれからも身につけていきたいですね。
自己啓発本やビジネス本で語られている「自由な生き方」よりも、もっと人間の本質的な在り方について教えていただいたインタビューでした。
想像よりも生きることはもっと楽しいし、生きていくことの可能性を探求・探究することの面白みや可能性を知る実践者が、秋庭さんだと感じました。
東京に生まれ、創業期のサイバーエージェントへ入社。
その後、国際協力NGO特定非営利活動法人シャプラニール=市民による海外協力の会 で広報&フェアトレード事業を担当し、2012年、北海道陸別町へ移住。地域おこし協力隊として活動し、2017年独立。一般社団法人 寒冷地デザインセンターを創立し代表理事に就任。
2017年夏から、キャンピングカーでリモートワークを行うノマド生活を実践中。